光希まさとの創造の世界へようこそ!
つれづれなるままに、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

このたび、佐藤宏司殿より授かりし「奥行き感の表現」なる技を、わが「ネオジャパネスク」の創作に取り入れんと試みしことにつき、思うところを記さん。

幾千もの試作を重ね、約千の作品を生み出す日々の中に、いにしえの吉井勇が「桜散る 西行の墓の 苔の上」と詠みし如き、和洋の調和の妙を見出しぬ。桜の枝々が西洋の尖塔に絡まり、着物の袖が大聖堂の柱に触れる。その様は、まさに東西の美の出会いを思わせ、心惹かれるものなり。

佐藤殿の説く「主役→舞台→仕上げ」なる順序立ては、まことに理にかなう教えにして、わが創作の道筋を照らす灯火となりぬ。「大→中→小→エフェクト」の階層化は、まるで平安の絵巻物が幾重にも重なる襖絵のごとく、心の奥へと誘う手立てとなりき。

されど、「ネオジャパネスク」と「アール・ヌーボー」の融合は、なお道半ばなり。「桜と西洋建築」という表層の対比を超え、より深き文化の交わりへと至るには、さらなる精進を要するべし。特に、わが得意とするガラスの透明感、水晶のごとき光の屈折は、いまだ満足すべき域に達せず。

かの佐藤殿も言わるるごとく、「layered background」なる技は、奥行きの無限の可能性を秘める。しかし、そを我がものとするには、なお千の夜を費やすべきか。

芸の道に終わりなし。わが「奥行き感の探求」もまた、終わりなき旅路なり。されど、今は佐藤殿より授かりし智恵の一端を糧に、一歩ずつ進みゆかん。雲の上なる月を仰ぎて、なお高みを目指す心持ちにて。

人の世の芸事において、先達の導きは尊きもの。佐藤殿のご教授に深き感謝を捧げつつ、我が道を行くのみ。ガラスの向こうに透ける和の心、西洋の廊下に響く琴の音。その融合の究極を求め、なお筆を執り、画を描き続けん。

さらなる高みにて、いつの日か佐藤殿と再び芸談に花を咲かせん日を楽しみに、日々の研鑽を怠るまじ。

つれづれなるままに 光希まさと
Essays in Idleness – Modern Edition: “The Pursuit of Depth”
