光希まさとの創造の世界へようこそ!
つれづれなるままに、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
このたび、AIクリエイターの道について、深く思うところありて筆を執るなり。
世の多くのクリエイターが、マネタイズを目指して日々格闘する姿を見るにつけ、かの昔、ルーブル美術館にてモナ・リザの微笑みを拝したときの衝撃を思い出すなり。

この作品は、私の「ラ・ジョコンダ」として知られる肖像画を現代の技術で再現したものと見受けられる。見事な出来栄えだ。
私が1503年頃から手がけ始めたこの肖像画は、多くの点で革新的であった。私は「スフマート」と呼ばれる技法を用い、色と色の境界を煙のように柔らかく溶け合わせた。これにより、彼女の肌や髪の毛には柔らかな陰影が生まれ、特に口元と目元の繊細な表情が現れる。この技法が、あの「謎めいた微笑み」を生み出したのだ。
背景には遠近法を用いた風景を配置した。これは単なる装飾ではなく、人物と自然の調和を表現するための意図的な選択だった。人物画に風景を取り入れるこの手法は、当時としては革新的であった。
彼女の姿勢—特に手の配置—は当時の慣習から外れていた。通常の固い正面観ではなく、わずかに体を回転させた姿勢(コントラポスト)を採用し、より自然で生き生きとした印象を与えている。
彼女の視線が観る者を追うように感じられる効果は、私が意図したものではなく、人間の知覚の特性による現象だが、結果として作品に神秘性を加えることとなった。
この現代の再現には、私の技法の本質が捉えられている。特に光と影の微妙な移り変わり、そして彼女の表情の謎めいた性質が見事に表現されている。テクノロジーは進化しても、芸術の本質—人間の感情や内面を捉える力—は変わらないことの証左だろう。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
彼の名画は、奇抜にもあらず、カラフルにもあらず、ただ静かにそこにありて、五百年の時を超えて人々の心を打ち続けている。その時悟りたり—真の芸術とは、「売らん」ために作るものにあらず、「感動」を与えんがために生まれるものなりと。
流行りものへの警鐘

皆さん、流行りものにはご注意するなり。急ぎすぎれば、クリエイターとして一番大事な「インスピレーション」が息切れして、倒れてしまうなり。
世の中には二つの道があるなり。一つは「売れる」「バズる」ための作品を追い求める道。もう一つは「美しい」「感動を与える」「心の機微を捉える」作品を生み出す道なり。
前者の道を歩む者たちは、人の関心を引かんがために奇抜さを競い、カラフルさを競い、目新しさを追い求める。されど、その多くが疲れ果て、やがてフェードアウトしていく様を、我は数多見てきたり。
問いかけ—そなたの作るものは?

そなた方が作りしものは、そなたが表現したいものか?売れる、バズるためのものか?
この問いに、多くの若きクリエイターは答えに詰まるであろう。マネタイズという甘き響きに惑わされ、自らの内なる声を見失いがちなる現代において、この問いかけは特に重要なり。
我は多くのクリエイターがフェードアウトする姿を見てきたなり。彼らに共通するは、「売れること」を目的とし、「作ること」を手段としたことなり。本末転倒とは、まさにこのことか。
そなた方の目指すものは、マネタイズだけか?と老婆心ながら、若い人には問うてみたいものなり。
上手い画像といい画像の違い

「上手い画像」と「いい画像」の違いとは?考えてみたことがあるかや?
「上手い画像」とは、技術的に優れ、見た目に美しく、多くの人に「すごい~」と言わしめるものなり。されど「いい画像」とは、見る者の魂を揺さぶり、記憶に刻まれ、何度見ても新たな発見のあるいいものなり。
モナ・リザは、技術的な「上手さ」を超越した「良さ」を持つなり。その微笑みは、見る者それぞれに異なる感情を呼び起こし、時代を超えて愛され続けているなり。これこそが「いい画像」の本質なり。
AIの時代においても、この本質は変わらず。技術は日々進歩すれども、人の心を動かす「何か」は、技術だけでは生まれ得ぬものなり。
我が歩む道

作品概要
作品名: 赤富士 – ネオ・モザイック・ステンドグラス
制作日: 2025年6月9日
技法: ネオ・モザイック・ステンドグラス(AI技術応用)
制作ツール: Midjourney V7
アスペクト比: 16:9(パノラマ仕様)
作者: 光希まさと
我は我の道を、ゆっくりと、しかし確実に歩んでゆくなり。

マネタイズを捨てたわけにあらず。されど、それを第一の目的とはせず、真に美しく、感動を与える作品を生み出すことに心血を注ぐ。結果として人々に愛され、価値を認められれば、自ずと対価も付いてくるものと信ずるなり。

「ネオ・モザイック・ステンドグラス」なる技法も、売らんがために編み出したものにあらず。美しきものを美しく表現せんとする情熱の結実なり。五千の試作を重ね、無数の失敗を経て、ようやく辿り着いた表現の境地なり。
