光希まさとの創造の世界へようこそ!
つれづれなるままに、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

先日、都に上りて、サントリー美術館にて、我が師匠と尊敬するエミール・ガレの「憧憬のパリ」なる展覧にまみえたり。ガラスを操りし彼の御業は、まことに目を見張るものあり。

花器「マグノリア」、「茄子」、「ベロニカ」、「カトレア」、「蘭」さらには「葡萄」を描きし作、いずれも平面の世にはあらず、溶着とエングレービングの技を巧みに用い、立体的にして涼感に富みし光景は、心を奪うものなりき。

殊に写実的なる表現は、吾が目を信じ難きほどの妙技なり。ガラスを彫刻の如く操り、光をその身に宿らしむる術は、まさしく神の技と言うべし。

目に焼き付く色彩の美しさ、枝垂桜の木材を用いし装飾パネルの妙、「ひとよ茸」の灯火の優美さ、「トンボ」の杯の繊細さ、すべてが心を揺さぶりぬ。

ガレの用いし技法、溶着、エングレービングなど、その奥深き芸術の秘術に触れ、我が内にも新たなる創造の種が芽生えし思いなり。
SOMPO美術館にてはゴッホの「ひまわり」に対面し、筆の一筋一筋に宿る魂の叫びを聞きしが如し。国立西洋美術館にてはモネの瞬きし光、ロダンの彫りし石にも、時を超えて伝わる創造の炎を感じたり。

我が作るステンドグラス風の画の薄っぺらさを思い知らされ、身の未熟を恥じつつも、心は新たなる高みを目指さんと燃ゆるなり。実物を見ることなくして、真の美は語れず。自らの世界に閉じこもりては、芸術家として死するも同然なり。

玻璃の中に宿る光と色の世界は、まさに無限なり。我が「ネオジャポネスク」の道も、この経験を糧にさらなる深みを探求せん。
